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世界の神話が示す終末の共通点【連載:古代核戦争説について】第2話

世界の神話が示す終末の共通点

古代核戦争説の根拠としてよく取り上げられるのが、世界各地の神話などに残された遠い過去に起こったとされる「大きな災い」の記録です。これらの神話に残された大きな災いでは、多くの場合が神が人間に罰を与えるといったような描写がされています。一般的にはこれらの大きな災いとは天災を表しているという説が主流ではあります。しかし、古代に残された書物は叙事詩という詩の形態で書かれていることが多いのです。

叙事詩とは

物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。

引用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9

※余談ですが、韻文とは英語などで詩を書く時に主に使用される作詞方法です。言葉で発音した時に語尾の母音を同じような発音で揃えているものが多いです。現代の洋楽などでも歌詞の構成には韻文が使われているものが多数あります※

このように、叙事詩とはそれぞれの国の歴史や民族的に価値のある事件など「過去に起こった重大な出来事」を口伝や詩といった形で祖先が先祖に伝えていくものです。ゲームなどに登場する吟遊詩人とは、実はこういった叙事詩の語り部として過去に実在していたと言われています。

日本で言えば、過去の教訓のようなものであり、史書などとは少し扱われる分野が違っています。しかし、史書ではなくとも過去を未来に伝えるという意味では無視できない歴史的な遺産でもあるのです。

そんな過去の歴史を伝えているとされる神話や叙事詩に共通しているのが、なぜか「人間達は一度滅びかけている」という言い伝えでもあるのです。国や地域や宗教や言語や作られた時代なども含めて様々な違いがあるのに、どうして「滅びかけていた」という部分だけが共通しているのでしょうか?

こういった”広い地域で共通した事が現代にまで伝わっている”という点においては、過去に世界的な規模で「重大な事件」が起こったことを暗示しているのではないかと言われても違和感はありません。

旧約聖書に見る滅びの暗示

例えば、旧約聖書の創世記などには比較的有名な「ノアの方舟」のストーリーがあります。

ノアとは最初の人とされているアダムとイブから数えると、約10代ほどあとのイスラエル人とされています。いわゆるヤハウェと呼ばれた唯一神が人間を作ったあと、地上に広がっていった人類はどんどんと堕落の一途を辿ったとされています。

一説では、この「堕落」とは人間同士の争い(端的にいうと戦争)であったり、神を信仰しなくなったりと本来のヤハウェが考えていた人間の在り方と大きく道を外れてしまっていたと言います。

しかし、そんな人間界にあって見いだされたのが、「神とともに正しい道を歩んでいた」とされるノアでした。神は、ノアを選んだ後に、大洪水に備えて大きな船を作り、全ての生物を1対ずつ乗せて耐えるように指示していたと言われています。

裏付けるものとしてそもそもこの「ノア」は推定年齢が500歳や600歳だったと言われているので、その実在については不明です。しかし、大洪水を起こして地上の人間たちを洗い流したという一度の終末は記述されています。

また、最も有名なものであれば「ソドムとゴモラ」のエピソードもあります。

これは、ノアの方舟の記述からさらに時代が進んだ頃のお話で、ソドムとゴモラという町がメインに取り上げられますが、人々が堕落してしまったという共通する表現があります。

ソドムとゴモラについては、ロトと呼ばれる人物が主人公であり、ロトはは預言者という立場です。そんなロトのもとに、ヤハウェの使いである天使が2人現れてソドムとゴモラを滅ぼすという神託を与えます。これを聞いたロトは家族を連れて脱出しますが、あまりの激しい音にロトの妻は禁を犯して振り返ってしまったために「塩の柱」になったとされています。

ノアの方舟のエピソードとの違いはその滅びの表現です。ノアの方舟の時には地上全てを洗い流すとされたものですが、ソドムとゴモラは2つの町を対象に神が滅びを与えたとされています。

主は硫黄と火とを、主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、全ての低地と、その町々の全ての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
しかしロトの妻は後ろを顧みたので「塩の柱」になった。アブラハムは朝早く起き、先に主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、及び低地の全面を眺めると、その地の煙がかまどの煙の様に立ち上っていた。

出典:旧約聖書より

硫黄と火を降らせたという表現や、煙が立ち上っていたという表現から、「局地的な攻撃」を連想させる内容です。ただし、ソドムとゴモラの出来事に関しては後世の研究によって比較的科学的根拠のある説で隕石によるものであったとの論説も発表されています。

仏教にもある滅びの記述

聖書に残っている記述に関しては、研究なども多いため諸説ありますが、今回の主軸は、別の地域、時代、宗教などにおいてなぜか「滅びの記述」が共通しているという部分です。

そういった意味ではこの不思議な共通点が、仏教にもあります。

仏典の1つである「 月蔵経(がつぞうきょう) 」には、聖書などの記述よりも、さらに具体的に「核兵器」を連想させる内容が残されているのです。仏教と言うと日本でのイメージは中国や国内が多いですが、仏陀の元々の発祥地は古代インドであり、経典や聖典と呼ばれるものは原典はインドのものであるというのが通説です。

以下、月蔵経からの抜粋です。

是の時、須臾の間、大地が揺れ動き、空中で耳を聾(ろう)さんばかりの大きな音を出し、各所に被害をもたらす。数百、数千にものぼる火の手が上がり、空中に留まっている。
その時、空中で大きな音がして大地が震える。全ての物が巻き込まれ広がりゆく有様は、水面の波紋とそっくりだ。市街の壁は崩れ落ち、家屋は大小を問わず倒壊し、樹木は根こそぎにされる。

出典:月蔵経

この記述で注目したいのは、核兵器特有の「空中で大きな音」「大地が震える」「水面の波紋」といった、核兵器が使用された際に発生する特徴が書かれていることです。

世界で唯一の対人被爆国である日本人であれば、一度は目にしたことがあるかもしれませんが、核兵器というのは地表ではなく空中で爆発させることによって、殺傷能力を計算的に高めた兵器です。

よく「広島型原爆」の時には空中で「ピカッ!」としたことから、「ピカドン」と呼ばれることがあります。核兵器は爆発した瞬間に超高温の熱線が周囲に放射されるため、先に光が見えて、直後に恐ろしい衝撃と熱風が押し寄せる仕組みになっています。

何はともあれ、この仏典に記述されている空中からの熱風や家屋などがなぎ倒されるという内容は、核兵器に非常に類似した表現です。

古代インドにそんな技術があるはずもなく、兵器の進化すらなかった時代にこういった表現がされるのはある意味で記述されている内容自体がオーパーツだとも言えるでしょう。

いずれにせよ、古代にこういった大きな規模の爆発が起こったということは、事実である可能性は充分にあるのではないでしょうか?

古事記やその他の世界神話でも、形は変われど、一度人間をやり直させるために神、もしくは何者かが当時の人類に大きな被害をもたらしたという表現が散見しています。

これらが表すのは単なる自然災害だけなのでしょうか?

 

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