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【世界七不思議】幻のバビロン空中庭園

Last updated on 2020年7月1日

世界各地にはその存在の根拠がいくつかは残っているものの、完全な立証がされていないものを含めて世界の七不思議と呼ばれる巨大建造物があります。

これらは紀元前2世紀頃、古代ギリシャの数学者であったフィロンによって選ばれたものですが、それ以前にも他国の壮大な建造物を世界の七不思議に数えていたと言われている人物も存在しています。

一説によると世界の七不思議は古代ギリシャにおけるアレクサンドロス大王の時代から、その後継者や知識人によって【自分達の文明がどこまで進んできたのか】を確かめる為に比較されてきたものであったそうです。

その中にはエジプトのギザの大ピラミッドなど、現在でも当時の姿をそのまま残している遺跡や、一部のみが遺跡として残っているもの、そしてバビロンの空中庭園のように現在では完全に破壊されてしまったと言われているものもありますが、その時代において最も最新の技術が使われていた可能性が高いことを上記の理由から語られることが多いのです。

ギザの大ピラミッドは以前レイライン考察としても取り上げましたが、フィロンの選んだと言われている世界の七不思議の中で2番目に古いとされているのが、バビロンの空中庭園です。

「バビロン」という言葉で、当サイトを何度かご覧頂いている方はピンと来るかもしれません。

古代イスラエル民族が南北に分かれた後、アッシリアによって征服され、捕虜となったバビロン捕囚の時代前後が、この空中庭園が存在していたと言われている時期です。

つまり、バビロンの空中庭園はメソポタミア文明のアッシリア王によって作られたものだと言われているのです。

バビロンの空中庭園はバレンタインのプレゼントだった?

画像引用元:バビロンの空中庭園

バビロンの空中庭園に関するエピソードには様々なものが残されています。

例えば、アレクサンドロス王はバビロンで病死したとされていますが、その熱を空中庭園で鎮めようとしたというものや、そもそもこの空中庭園は当時アッシリアの王であったネブカドネザル王がイランの王女アミティスと結婚し、故郷を懐かしんだ王妃に対して庭園作ってバレンタインの贈り物としたというような逸話が語られています。

バビロンの空中庭園が記録として記述されるのは紀元前270年頃の歴史家であった、ベロッソスという人物によってネブカドネザル王が作った宮殿について「基礎に石を用いて山の風景に似せたテラス状の宮殿を15日間で作った」というものが始まりだったそうです。

さらにベロッソスはこの宮殿を空中庭園だとし、王が王妃を喜ばせるために作ったものであるということも記録していたと言われています。

現在に残っている空中庭園に関する遺跡としては、紀元前645年頃に庭園と見られる場所でくつろいでいるアッシリア王と見られる石版が残されている他、少しずつ記述の違う記録が残されてきたため、空中庭園が実在していたかどうかについては、懐古派と実在派によって議論が行われています。

しかし、同時代のギリシャの冒険家や冒険家が実際に見た建造物の中から「世界の七不思議」と位置づけるほど高度な文明を感じたことを鑑みると、過去には実在していた可能性が高いようにも考えられるのです。

バビロンの空中庭園はどこにあったのか?

メソポタミア文明の遺跡は数多くあるものの、現在の広さからその場所までは特定されていません。

元々はバビロン宮殿の1部だとされていた説が濃厚ですが、バビロンの最盛期には多くの宮殿群が建設された後があり、さらにバビロンが滅亡したことによって当時の位置関係を知り得る情報が残されていないのが現実です。

しかし、ギリシャの科学者であるアルキメデスが螺旋構造によって水を組み上げる構造を考えた以前に、同じような構造を持っていたと考えられていることから、ユーフラテス川の川岸周辺が有力な空中庭園のあった場所だとも言われています。

バビロンの空中庭園には「枯れない木」があったとも言われていますが、現在ではこの「枯れない木」は観葉植物のように長寿かつ、当時の技術によって水の管理がされていたと考えられています。

空中庭園には水路、螺旋揚水機、揚水塔なども完備されていたとされ、ギリシャに残された記録によれば、広さは約120メートル四方ほどあったことも残されています。

また近年の学説上では、空中庭園はバビロンではなくアッシリア王のセンナケリブによって首都ニネヴェに建設されたものだというイギリスの考古学者ステファニー・ダリーの主張が多くの支持と注目を集めています。

バビロンの空中庭園という古代ロマン

確かな実在の証拠はありませんが、古代バビロンという確かに存在した文明の中に、「空中庭園」と呼ばれた美しい宮殿が作られていた可能性は充分にあるのではないでしょうか。

残念ながら、ギザの大ピラミッドのように当時の面影をそのまま残すことは出来なかったアッシリアですが、同時代の冒険家や探検家がわざわざ嘘を残す理由もないでしょうから、少なくともこういった高度な技術の使われた建造物は実在していた可能性が高いと考えられます。

また、地域の特色を考えても、水を扱う知識についてはバビロン王朝は他の文明よりも長けていたと考えるのでが自然だと言えるでしょう。

現在、アッカド語の解読が学会上でかなり進んで来ていることもありますので、今後の研究次第では空中庭園の真相も発見される日が来るのかも知れません。

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