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思わず目を背けたくなるナチス・ドイツの集団人体実験【連載:オカルト・ナチス】

Last updated on 2020年7月1日

第二次世界大戦の引き金となったナチス・ドイツによるポーランドへの進行。

そしてヒトラーの独裁政治によるヨーロッパ戦線の拡大と狂気に満ちた人種迫害という行為の傷跡は、近代史上に大きな傷跡をいまだに残している。

そんなナチス・ドイツは戦時中に主にユダヤ人を中心として様々な人体実験を行なっていたことを皆様はご存知だろうか?

ここではそんな狂気に満ちたナチス・ドイツによる人体実験の一部を紹介しようと思う。

公開日:2019年10月5日 更新日:2020年1月29日

ナチス・ドイツによる恐ろしい人体実験の数々

ナチス・ドイツは多くのユダヤ人を連行し、有名なアウシュビッツ強制収容所をはじめとした数々の隔離施設へと押し込んだ

劣悪な生活環境や強制労働による多くの非人道的な行為によって、収容された人々の苦痛を想像するには、現代の日本人である我々にはあまりにも現実感がない。

さらにこの数々の収容所で行われていた本当の恐怖、それはドイツが誇る天才的な医師や科学者による多くの人体実験である。

以下は戦後のニュルンベルク裁判にて明らかになった悪魔のような人体実験の一部だ。

低圧、低酸素の環境下における生体反応

高度12,000メートルという当時として最新の戦闘機を開発したナチス・ドイツは、この戦闘機に兵士が搭乗した時にどのような生体反応が起こるのかを把握出来なかった。

空軍のジクムント・ラッシャー博士によって被験者とされた約200名の囚人は強制的に低圧、低酸素状態にさらされ、この実験によって亡くなった約80人の遺体は解剖されて実験記録として処理されたのである。

人種選別による頭蓋骨収集

ストラスブール国立大学教授のアウグスト・ヒルト博士が発案した頭蓋骨収集という検証は、収集したデータによって人種を選別し、効率よく撃滅出来るという狂気の発想から許可された。

各地からサンプルとして集められた少なくとも120名の捕虜や囚人は、生きたまま首から上を損傷しないようにガスによって殺害され、その遺体はアルコール水槽に保存されていった。

選民思想と人体実験

この他にも、「強制不妊化実験」や「双子実験」「マラリヤ実験」などといった人を人として扱わない数々の凶行が選民思想による必要な実験として各地で行われている。

しかし、もっとも恐ろしいのは、時代が違えば医学や科学に大きく貢献出来たような天才達がナチス・ドイツという背景を持ったことにより

悪魔のような人体実験を何の疑問もなく遂行していたという事実である。

ナチス・ドイツにおけるマッド・サイエンティスト

ナチス・ドイツの政権下では武器開発、都市開発、極地への探検隊、医学研究など様々な分野において、スペシャリストが編成されており、その中には公にされなかったと言われる組織も存在している。

一般的なユダヤ人を迫害していたのは、いわゆるゲシュタポやSS部隊といった「軍事的制裁を許可された部隊」であり、彼らに捕まった後に、各地の収容所などで科学者や医師の立ち会いのもとに多くの人体実験をしていたとされている。

中でも「死の天使」と呼ばれたヨーゼフ・メンゲレは悪名高いアウシュビッツ強制収容所の担当をしていた。

画像引用元:ヨーゼフ・メンゲレ

メンゲレの主な仕事は、トラックなどに詰め込まれた囚人がアウシュビッツ強制収容所に到着した際に、誰を人体実験に使うか、誰をガス室での毒殺実験に使うか、といった「選定作業」に始まり、被験者に選ばれた囚人を、数多くの方法で殺害してはその記録を残していた。

現在では、慎重なマウス実験などを繰り返してから行うような薬品の実験から、いわゆる人体の限界を探るような拷問など、その手法には枚挙にいとまがない。

一説には生きたままの囚人を解剖していたという話しもあり、ナチス・ドイツにおいても、もっとも狂気を持った人物だと言える。

そんな彼の被験者の呼び名は「モルモット」であったとも言われている。

戦後、ニュルンベルク裁判では当然死刑判決を受けたものの南米に逃亡し、最後は心臓発作で死んだ。

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