Last updated on 2020年6月24日
はじめに
よくナチス・ドイツやヒトラーを取り上げると「ナチス・ドイツを擁護している」「ヒトラーは悪くない」などといった勘違いが起こりやすい上に、中には「ホロコーストは無かった説」「ガス室が無かった説」といった様なとんでもない解釈を始める人間がいるが、ナチスによるユダヤ人へのホロコーストは歴史的な事実であり、数百万人のユダヤ人がナチス政権下で犠牲になっている。
第二次世界大戦時、日本は全世界で唯一の人為的な被爆国となったことは周知の事実である。広島、長崎に落とされた原子爆弾は一瞬にして民間人数万人の命を奪った悪魔の兵器であり、捉え方によってはこれもホロコーストである。(非戦闘員に対する無差別攻撃はれっきとした戦争犯罪である)
また、私自身は多くのナチスドイツやヒトラーに関する文章を作成しているが、ナチスドイツによる戦争犯罪やヒトラーという人間を擁護しているのではないことも付け加えておく。
これらを大前提とした上で、今回はナチスドイツによるホロコーストについて紹介していくので、その真実をしっかりと受け止めて頂きたい。
ナチスドイツのホロコーストが捏造だというとんでもない嘘
ナチスドイツが行なったホロコーストについての否定論や否認論者が歴史的に登場し始めたのは1960年代であった。
これらの説の中にはホロコースト自体はあったものの、その犠牲者数を少なく見るような動きなどもあったが、これらの否定論や見直し論の根拠が認められたことは現在までにただの1度もない。
以下、wikiからの引用になるがフランスの高名な歴史家であるピエール・ヴィダル=ナケは否定論に対しての見解と否定論者の特徴をまとめている。
「月はロックフォールチーズで出来ているなどと断言する『研究者』がいると仮定して、一人の天体物理学者がその研究者と対話するような光景を想像できるだろうか。歴史修正主義者(ホロコースト否定論者)たちが位置しているのは、このようなレヴェルなのだ」
- ナチス・ドイツが意図した「ユダヤ人問題の最終的解決」は、東欧方面へのユダヤ人追放を意味する
- しばしばホロコーストの象徴とされるガス室は、存在していない。
- 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字は誇張であり、実数ははるかに少なく、10万人程度である。
- 第二次世界大戦の重要な責任は、アドルフ・ヒトラーになく、ドイツにもない。もしくはユダヤ人にも責任がある。
- 1930年代から1940年代の人類の最大の敵は、ナチス・ドイツではなくヨシフ・スターリンのソビエト連邦である。
- ホロコーストは連合国、主にユダヤ人やシオニストによってでっち上げられたものである。
引用元:ホロコースト否認
上記がいわゆるホロコースト否認を主張する人々の特徴だとしている。
特に特筆すべきは「ユダヤ人問題の最終的解決」に対する解釈やガス室が実在のしたかどうか?というようなもの、そして被害者の実数である。
こういった解釈に関しては、発端となった問題もあるが、以下で事実として確認されているものを細かく紹介していく。
ナチス政策の1つである「ユダヤ人問題の最終的解決」
否定論者の多くが勘違いしている「ユダヤ人問題の最終的解決」とは「ユダヤ人を東欧方面へ追放するという意味である」という問題について。
当初のナチスドイツは政策の中でスケープゴートの対象として「ドイツ・ユダヤ人」を挙げ金融資産的な問題などを上手く利用した上でアーリア人至上主義と反ユダヤ主義を対比してユダヤ人を国内で弾圧し始めた。ナチスドイツ政権下で最も初期に始まったユダヤ人への具体的な行動が「国外追放」という政策であった。
この後1935年に「ニュルンベルク法」が制定されたが「ユダヤ人の定義」が決まっておらず、ニュルンベルク法を追うようにヒトラー内閣内務大臣ヴィルフリム・ヘリックによって以下のような見解が示される。
「ユダヤ人とは『宗教』ではなく、『血統』『人種』『血』が決定的要素であり、ユダヤ教徒でない者にも『ユダヤ人性』を追及しうる」
引用元:ニュルンベルク法
つまり、ユダヤ人の定義をユダヤ教徒ではなく、ドイツ・ユダヤ人に当てはめるための定義付けがこの時に行われた。これによって起こったのが、ユダヤ人商店などが物理的に差別、攻撃された1938年に起きた「水晶の夜事件」である。
この翌年、1939年にポーランドへ侵攻したナチスドイツはポーランド国内約330万人のポーランド・ユダヤ人に対しても同様に「ユダヤ人」として括る必要性が出てきた。
この段階ではユダヤ人に対する政策の中心は国外追放であったが、1940年頃にはユダヤ人のゲットーが国内に大量に増加し、SSによる食料配給という管理体制も相まって、環境悪化による疫病や飢餓が原因となり1941年頃までにユダヤ人居住区ゲットーに押し込められたユダヤ人は約50万人亡くなっている。
これはまだ殺害を意図的に行なっていない時の数値である。
大量銃殺、毒ガスの真相
1941年、独ソ戦の開始と共に東部戦線の占領域にてSS保安本部・保安警察の権限においてユダヤ人を含む、保安上の危険分子を射殺することが許可され、さらにこれは国家命令となり、正式な任務として行動部隊にくだされた。これによってソ連領域内の約500万人のユダヤ人はナチスドイツの国家指導の元、SS行動部隊の標的とされていく。
ここからのナチスドイツは一般的にも知られているような大量のユダヤ人を並ばせて銃殺刑にしたり、SSだけではなくドイツ警察大隊、国防軍など多数の組織も積極的に行動することになる。当初は国外追放を軸とした政策から具体的な殺害へと政策が切り替わっていった。
しかし、この政策はヨーロッパ・ユダヤ人に適用されなかったため、生まれたのが「毒ガス」に使用による大量殺害である。毒ガスでの殺害を計画したと言われているのは、ヒトラー配下で全権を持っていた悪名高きハインリヒ・ヒムラーであった。
有名なアウシュヴィッツ強制収容所の毒ガスによるホロコーストは「実験」の1つであり、強制収容所では他にも注射、一酸化炭素、自動車の排気ガスなどを使ってユダヤ人の殺害が繰り返されていった。
毒ガスでの殺害実験に使用されたのは、否定論者などが挙げるチクロンB、またはサイクロンBと呼ばれる、シラミなどの衛生対策にも使用されるものであった。青酸カリの1種であり、狭いガス室に送られたユダヤ人被害者達は、自分たちの体温や呼吸によって青酸カリが発生した室内で次々と死んでいったのである。
一部、この薬剤は高価であり、殺傷能力も殺害方法には向いてないといったり、ガス室の構造がおかしいといった主張もあるが、これは1988年、アメリカのフレッド・A・ロイヒターと言うエンジニアがアウシュヴィッツ強制収容所に無断で侵入し、青酸カリ特有の壁や天井に残る痕跡がなかったという状況証拠を始めとする「ロイヒター・レポート」というものが多くの発端になっているものである。
こうした捏造疑惑は、ほぼ確証のないものであり根拠が全くない。また、ロイヒター自身はアウシュヴィッツで調査したと証言しているが、これも公的機関を通していないため真意不明である。
また1942年からは「ラインハルト行動」と呼ばれるポーランドを中心としたユダヤ人に対する「追放」「絶滅収容所への移送」「絶滅収容所の運営」が計画的に行われた。
この絶滅収容所こそ、強制労働、銃殺、毒ガス、飢餓、疫病など手段や方法を問わないユダヤ人に対するホロコーストの最終的な行動になった。
絶滅政策と絶滅収容所
冒頭で紹介した「ユダヤ人問題の最終的解決」については1941年1月の「ヴァンゼー会議」によって議論が行われた。ここでは約1100万人にのぼるヨーロッパ・ユダヤ人への最終的解決方法が話し合われ、現実問題として労働力にすることも挙げられたが、ナチスドイツの幹部達はもはやユダヤ人が労働力になるとは思っていなかったのである。ここでの議題には当然ながら、ユダヤ人殺害に関しても話し合われていたという(議事録には残さず、後年の証言やその後のナチスドイツの動きから明らかになっている)
このヴァンゼー会議が終わった翌年1942年3月から「ソビボール」「トレブリンカ」「ベルジェツ」といった絶滅収容所が相次いで完成し「絶滅」を目的とした移送、強制送還が始まっていく。同1942年7月にはヒムラーにより、総督府の全ユダヤ人の移送を年末までにするように指令をし、軍需関係に従事していたユダヤ人の追放も命じていく。
加えてヨーロッパユダヤ人の収容所送りも同時に進められ、1943年にはポーランド国内に最期に残っていたユダヤ人ゲットーも解体され、一部の技能者は強制収容所へ、大部分のユダヤ人は絶滅収容所へと送られていった。
よく、映画などで描写される家族間で引き離されるユダヤ人達は「労働力となるかどうか」によって場所を選定されていた。そこには一切の感情はなく、SSなどのヒムラー配下の現場部隊が強制的に、そして機械的に人間を選別していたのである。
これらに加えて、戦争初期から置かれていた強制収容所であったダッハウを始めとする6箇所の強制収容所にソ連からの捕虜なども含む外国人などの収容も増えていく。
多くのユダヤ人達は強制労働中に過労死や疫病で死亡、労働不能とみなされた場合は銃殺、そして実験とされたガスによる処刑などで次々とその生命を奪われていったのである。また収容人数が増えると絶滅収容所では有無を言わせずの銃殺刑が横行していたという。
これら数多くの強制収容所や絶滅収容所において殺されたユダヤ人が約10万人ほどという歴史歪曲説は、もはや一切の意味も持たない空想レベルの考察である。
ナチスドイツにおいてユダヤ人が殺害されていった時期はおよそ1939年9月から1945年3月であったとされており、北はフィンランド、東はソ連領内やリトアニア、エストニアなど、西はフランス、南はギリシアと広大な範囲に及び、その中心になったのがポーランドであった。
推計ではこの期間にポーランドだけで約300万人のユダヤ人が殺害されている。
ヒトラーが直接の命令をしていないという問題
ヒトラーが正式な命令書として「ユダヤ人を絶滅させること」を指示したことは確認されていない。
多くはヒトラー以下の軍人、すなわちハインリヒ・ヒムラーやSSなどの幹部により提案された方法をヒトラーに打診して、これを承認したというのがキッカケだと言われている。
しかし、ヒトラー政権では直接命令を書面で残したことはむしろ少なく、特に重要な作戦などにおいては口頭によって伝えていたことも当時のナチス幹部らへの調査から明らかになっているし、ヒトラーが全く関係なかったというのは大きな誤りであると考えるのが妥当である。
さらに、言えばヒトラーは演説の中でユダヤ人の絶滅や殲滅を語っていたことがある。ヒトラーは言うまでもなく演説の天才であった。これを崇拝していた人間が聞けば次に実行方法を考える。これが当時のナチスで起こっていた異常な国家の流れでもあった。
つまり、混乱の中にあって系統的な政策として実行された形跡はないが、ナチス・ドイツが国家としてユダヤ人を中心にホロコーストを行なったという事実には疑いの余地がない。
おわりに
昨今では、インターネット上で様々な捏造疑惑が囁かれるが、こういった問題を判断する時にはしっかりとした認識と確認を持って各自が慎重に判断しなくてはならない。
もちろん、捏造疑惑の中には実際に捏造されていると私自身が思っているものも多い。
しかし、ナチスドイツのホロコーストについては明らかに捏造ではない事を数々の資料が裏付けている。
ホロコーストは人道に対する罪であり、それは始めに紹介した日本の人為的な被爆も同義であると考えている。
加えて、日本は第二次世界大戦時にナチスドイツの同盟国であったことも忘れてはいけない。日本にも多くのユダヤ人が避難した記録がある上に、これらの難民となったユダヤ人達を命がけで日本へ避難させた人物も実在している。
今後もナチス・ドイツに関する記事は増える予定ではあるが、こういった事実を受け入れた上で読んでもらえれば幸いである。
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