Last updated on 2020年6月28日
日本人とユダヤ人との文化的な共通点は以前に紹介したように、不可思議なほどに似ている所が多い。
大陸系渡来人が多くやって来たとされる西暦500年~西暦800年頃。
この時期に多くの海外文化を取り入れたことで、日本人の文明は大きく変化している。
時を同じくして神社を始めとした神道文化は現代の形に定着し、それに付随した祭事なども同じ様に発展してきている事実は歴史を見ても明らかだが、日ユ同祖論で注目すべきはこれらの定着文化、宗教的な風習に及ぶまで「ユダヤ人と日本人」の間に類似点が数多く見られることである。
さらに日ユ同祖論という考え方は、ユダヤ人の中にも同様の見解を示している人が数多くいるという。
中でも日ユ同祖論を大きく唱えた代表的なユダヤ人はヨセフ・アイデルバーグという言語学者という人物であり、日本に滞在していた経験もある。
今回は、この言語学者ヨセフ・アイデルバーグが指摘したユダヤ人から見た日本人との共通点についていくつか紹介していこう。
ユダヤ人の日ユ同祖論者ヨセフ・アイデルバーグ
ヨセフ・アイゼルバーグは、1916年に当時のロシアに生まれたユダヤ人であり、一度イスラエルへ移住。その後、アメリカへ渡り理工学を学んだあと、ヨーロッパで言語学者となった。
ヨセフ・アイデルバーグは、ヘブル語・ロシア語・英語・フランス語・ドイツ語・ペルシア語・イェディッシュ語・アラビア語という7カ国語を話せたと言われており、さらに日本語についても知識があった。
当時は第一次世界大戦や第二次世界大戦などの混乱期にあったため、イスラエルが建国される前には軍人としても活動していたり、イスラエルの軍部では国防軍の陸軍少佐まで勤めた人物である。
つまり、生粋のユダヤ人でありユダヤ人としての伝統的な文化は熟知していた。
そんな彼がイスラエルで歴史、言語について研究していた時に疑問に浮かんだのが「日本人とユダヤ人の共通点」だったのである。
彼は1970年代に京都の護王神社で日ユ同祖論の研究のために見習いの神官にもなっている。
アイデルバーグが指摘した言語の共通性
14年間に及び、日本の言語、歴史、宗教などを研究した結果、ユダヤ人と日本人には多くの共通性があることに着目した。
それぞれの特徴点については、数多くの仮説を立てているがアイデルバーグはとりわけ言語について注目している。
例えば、
日本書紀に伝えられている天皇の正式な呼称である「スメラ・ミコト」は、古代ヘブライ語に訳すると方言で「サマリアの陛下」という意味になるという。
さらに、初代天皇である神武天皇の正式な呼称である「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」という言葉は同じように訳すると「サマリアの陛下、神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味であるという。
この事から、アイデルバーグはアッシリア帝国に滅ぼされた古代ユダヤ人の10支族は東へ移動し、シルクロードを通って日本に辿り着いたという説を主張している。
また、いわゆる地方に属した方言に発祥する言葉も含めて、日本語とヘブライ語の共通点が3000以上もあることを合わせて指摘しており、言語学者の見地から、世界中で唯一日本語だけがこれだけの共通性を持っているとした。
もともとは日本語という言語自体も実は不明な点が多く、いわゆる独立言語の1つだと考えられていたが、アイデルバーグの主張からすれば、日本語は古代ヘブライ語が確実に影響していると確信していたのである。
彼は1984年に自身の日ユ同祖論をまとめた本も出版しており、日本語訳もされている。
また1986年には、前述した3000語に及ぶ日本語と古代ヘブライ語の共通性などを本にして出版する予定にもなっていた。
しかし、この日ユ同祖論においては先進的な考え方を論理的にまとめられた数少ない人物であったヨセフ・アイデルバーグは、1985年、イスラエルに帰国した後、交通事故によってこの世を去ってしまった。
遺作となった本にも約500にも及ぶ共通性のある言葉をまとめている。
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