Last updated on 2020年7月1日
世界の七不思議の中でも最もベールに包まれている存在とされているのが、現代のギリシャ領にあるロードス島にかつて存在したとされる巨大なヘリオス像です。
ヘリオスとは、ギリシャ神話上の太陽神であり、ヘリオス像が立っていたとされる時代には多くの民衆に信仰されていたと言います。
しかし、かつて実在したと言われる巨大なヘリオス像はわずか約60年ほどで地震によって倒壊したと伝わっています。
指輪物語を実写化した映画【ロード・オブ・ザ・リング】に登場した巨大な王の石像などは、このヘリオス像の伝説を模したものではないのか?と想像してしまうほどです。
今回は世界の七不思議の中でも多くの謎に包まれている【ロードス島の巨像ヘリオス】について紹介していきたいと思います。
ロードス島にあったとされるヘリオスの巨像とは?
画像引用元:ロドス島の巨像
ロードス島に巨像が作られた理由は、巨大なマケドニア帝国が分裂した古代の権力戦争が発端となっていたと言われています。
エジプトのファラオや古代マケドニア帝国の偉大な王であったアレクサンドロス3世の逝去を発端として、紀元前323年に各有力者のディアドコイ戦争という大きな戦争に突入しました。
この時、各地域が勢力を固めていく中、ロードス島はエジプトのプトレマイオス1世に協力しました。紀元前305年にシリアの王であったアンティゴノスは息子のデメトリオス1世に4万の兵を率いさせてロードス島を占領するために侵攻し、ロードス島包囲戦を行います。
ロードス島は城壁に囲まれた強固な城塞都市であったものの、プトレマイオス1世の援軍を待つ状況が続きます。
そして紀元前304年、ようやくプトレマイオス1世からの援軍がロードス島に到着し、デメトリオス1世によるロードス島包囲を解放することに成功します。
この解放を神のおかげとした当時の民衆は、デメトリオス1世が放棄した武器を売却し、ロードス島の守護神として崇められていた太陽神ヘリオスを像にすることにしたそうです。
ヘリオスの巨像は、高さが33メートル以上あったとされており、ギリシャの著名な彫刻家であったリュシッポスの弟子と言われているカレスという彫刻家にが事業として引き受けたとも言われています。
紀元1世紀頃の古代ローマの政治家であった大プリニウス曰く
「その親指に胸がまわる人はまずいないだろう。これほど大きな指を持つ像は、ほかにほとんどないだろう。」
と評されています。
※但し、大プリニウスの時代には既にヘリオス像は倒壊しています※
おそらくは、崩壊した像の一部はまだ残っていたことから、過去の偉大な建築物を讃えた言葉だと考えられます。
それもその筈、このヘリオス像には足元に大理石で巨大な台座が築かれており、それを含めると約50メートルもの高さになっていたそうです。
これは現在のアメリカ合衆国の「自由の女神像」に匹敵するほどの大きさであったとも言われています。
ヘリオス像の建設と倒壊
世界の七不思議の中では最もベールに包まれているものの、ヘリオス像の建設方法については、世界の七不思議を提唱したフィロンによっていくつかの方法が記録されているそうです。
ヘリオス像の本体は青銅で作られていたと伝わっていますが、事業責任者であったカレスは巨大すぎるヘリオス像は部分別に鋳造して組み立てることは不可能だと判断し、巨大な大理石の台座から数回に分けて像の下側から建設していったそうです。
まずは足元を青銅で鋳造し、周囲に土で土台を積み上げて次の部分に型枠を作り、像の全体像は完成まで見えない状態で建設されていったそうです。
フィロンの残した記録によれば、ヘリオス像の建設が始まったのが紀元前294年頃であり、完成したのは紀元前282年とされており、ヘリオス像の完成には約12年の歳月がかけられていました。
しかし、このヘリオス像が完成して僅か58年後の紀元前226年にロードス島を中心に地震が発生し、像は足元からあっさりと倒壊してしまったと言われています。
この時、ロードス島の解放に協力したプトレマイオス1世の血を継いだプトレマイオス3世は像の再建に資金を提供すると申し出たということですが、当時の天災は神の怒りだと考えられていた為、ロードス島の人々はこの申し出を辞退し、ヘリオスの巨像は歴史から失われることになりました。
倒壊したヘリオス像は約800年の間、観光目的に放置されていたと言われており、前述した大プリニウスはこの倒壊して破片になったヘリオス像の一部を実際に目撃して大きさを例えたとも言われています。
さらに西暦654年にはイスラム圏のムアーウィヤによってロードス島は征服され、ロードス島に残骸として残っていたヘリオス像の欠片も破壊された青銅として商人に売却されたと言われています。
この背景にはイスラム教が偶像崇拝禁止を掲げていたという理由もあったそうです。
失われたヘリオス像の謎
歴史上にわずか約60年しか存在しなかったヘリオス像には多くの謎が残されています。
例えば、本記事に紹介しているイラストは後世の世に画家が想像したヘリオス像であり、実際の姿には多くの憶測がなされています。
ヘリオス像の立っていたとされる位置は、当初港の入り口であり、さらに2つの土台を跨って作られたと言われていましたが、これだけの大きさの像であれば垂直に立っていなければ建設出来なかったのであないか?といった説や、ヘリオス像の手に持たされていた武器にはからくりの仕掛けが設置されており、侵入者に対しての兵器であったという説などもあります。
ヘリオス像の再建計画
この失われた巨大ヘリオス像は1970年代から、何度か再建計画が出されたものの、資金の問題などによって計画が白紙になっているそうです。
仮に、このヘリオス像がロードス島に再建されれば、世界中の人々が観光に訪れそうな気もしますが…。
知っている方も多いでしょうが、ギリシャは近年の金融恐慌などで財政的にも実現は難しいかもしれません。
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