Last updated on 2020年7月2日
世界にはさまざまな戦いがありますが、その中の一つにロサンゼルスの戦いというものがあります。
たとえば長篠の戦ならば織田と武田が戦った戦いですし、関ケ原の戦いであれば石田三成と徳川家康、ワーテルローの戦いはフランスとロシアのように戦いというのは誰と誰が戦ったのかは、当然わかるものです。
しかし、なんとこのロサンゼルスの戦いは違います。
そう、この戦い、米軍の戦いであるにもかかわらず、誰と戦ったのかいまだによくわからない戦いなのです。
公開日:2019年10月31日 更新日:2020年2月28日
ロサンゼルスの戦いの概略
ではロサンゼルスの戦いとは何だったのか、その概要を見ていきましょう。
1942年2月25日それは起こった。
太平洋戦争中の1942年2月25日。
午前1時44分にロサンゼルス市にあるアメリカ陸軍のレーダーが、西120マイルの太平洋上に20機を超える航空機の姿をとらえたのです。
くしくも2日前の2月23日に日本軍によってサンタバーバラ石油基地に対する砲撃が行われたばかり。
このことからアメリカ軍はこの25機の機影を日本軍の艦載攻撃機もしくは爆撃機と認定、西海岸の陸軍に対しスクランブルを発令し、その迎撃に備えたのです。
対空砲火1430発の一斉攻撃
それから約1時間後の午前3時。
サンタモニカ上空において、米軍だけでなく民間人においても約時速320キロで飛行する高速の飛行物体を視認。
陸軍第37沿岸砲兵旅団はこれに対して対空砲火の一斉攻撃を始めたのです。
しかし、サーチライトで目標を視認しながらの対空砲火でありながら、総数1430発にも及ぶ対空砲火は空振りに終わり一機たりとも撃墜できません。
さらにはカーチスP-40などの戦闘機での迎撃を試みたものの、それでもまったくの戦果も上げられなかったのです。
悠々と飛び回った後突然の消失
米軍の一斉攻撃に一機も落とされることのなかった謎の機影。
大都市ロサンゼルスで行われた大規模な対空砲火と、日本軍機による空襲の報告は市民を混乱に陥れます。
しかし、そんな中その飛行物体は太平洋岸のビーチ上空を悠々と飛行、約20分間にわたり見守る軍人や市民の前にその姿をさらしたのです。
そして、その後、すべての機影が一斉に消失。
何事も無かったこのように、事態は沈静化したのです。
彼らはなにと戦ったのか。
そして、そこには謎だけが残りました。
日本軍機説
最初、これは日本軍機による空襲とされていました。
しかしながら、この日、これほど大量の艦載機をロサンゼルス上空に送れるような大型艦船は西海岸には存在しなかったことがすでに分かっています。
また、当然単独飛行で戦闘機が太平洋を越えることも考えられません。
風船爆弾説
また、この攻撃は日本軍による風船爆弾(風に乗って飛んでくる気球型爆弾)という説も流布されました。
しかし、これに関して言えば、高速で飛行する飛行物体の姿をレーダーや軍人のみならず民間人でさえ目撃しているのです。
とうぜん風船爆弾は高速移動しませんし、アメリカ軍の1430発の対空砲火を避けるはずもありません。
しかも、この時風船爆弾は実用化されていなかったのです。
UFO説
つまり、この件に関しては、いまだにアメリカ軍としても原因不明の事態となっています。
しかし、高速の飛行物体、対空砲火1430発でも落とせない機体、そして突然消えてしまったその事実から考えると、これはUFOの仕業であると考える人は大勢います。
もちろんすべては闇のなかです。
ただ、まさに米軍ですら把握できないようななんかとんでもない事態が起こっていたことだけは間違いありません。
初の異星間交戦なのかもしれない
正体不明の飛行物体と戦った、謎だらけのロサンゼルスの戦い。
しかし、もしこれがUFOとの交戦であったなら、これは間違いなく世界初の異星間交戦の記録。
世界の戦争史に新しい金字塔として刻まれる日が、来るかもしれません。
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