Last updated on 2020年7月2日
第二次世界大戦・・・とか太平洋戦争・・・もともとは大東亜戦争と呼ばれていた先の大戦と聞くとどんなことをイメージしますか?
オカルトオンラインでも【大東亜戦争に敗戦した日本への政策SSS】や【大東亜戦争の真実~リヒャルト・ゾルゲ 第二次大戦の伝説のスパイ~】【零戦の伝説のパイロット「坂井三郎」と「岩本徹三」 】などなどの記事で太平洋戦争のにまつわるお話をご紹介しました。
そして、今回は、大戦中にアメリカで発令された大統領令についての記事です。
大戦中にアメリカにいた日本人はどうなったのでしょうか。
「大統領令9066号」とは
大統領令9066号(United States Executive Order 9066)は、日本とアメリカが戦争をしていた1942年2月19日に発令された大統領令です。この大統領令を出したのはフランクリンルーズベルト大統領で、通称“防衛のための強制移動の権限”と呼ばれています。
この大統領令が当時、アメリカにいた日本人の運命を決めることになります。
大戦中のアメリカにも日本人がいた
もちろん、大戦中や大戦前のアメリカと日本の関係は現在のような同盟関係ではありませんでした。また、今のように交通の便が良かったわけでもありません。それでも、アメリカに住んでいる日本人やアメリカに渡航する日本人もいました。
実際に、日本人の両親の元にアメリカで生まれた東京ローズような人もいたわけです。
日系人はハワイとアメリカ西海岸に多く、真珠湾攻撃で日米が開戦した後は「敵国」の国民として扱われることになります。そして、この大統領令9066号が日本人の強制収容への第一歩だったのです。
真珠湾攻撃から12日後に発令された
大統領令9066号は、1942年2月19日に発令されました。真珠湾攻撃はアメリカ時間で1941年12月7日ですから、真珠湾攻撃からわずか12日後のことでした。この大統領令は諜報活動の阻止などが目的で指定地域を軍が定め、このエリアから特定の人々を排除することが可能になるという内容でした。
そして、日系人が多かったアメリカ西海岸がこの”軍管理地域”となり日系人は立ち退きを余儀なくされたのです。
その後、たくさんの日系人が強制収容所に送られます・・・日系二世や三世でアメリカで生まれた者もその対象となり、ハワイやその他の地域でも日系人や日本人が「敵国」という大義名分の元で強制収容所に送られたのです。他にもドイツやイタリア系のアメリカ人も強制収容の対象でした。
日本人であることや日系人であることが罪・・・日系人だから日本人だからスパイかもしれない・・・それだけの理由で強制収容所に送られたのです。
この政策に意義を唱えた人もいたのですが、結果として11万人もの日本人・日系人が強制収容所に送られる事になりました。ちなみに、強制収容所に送られた人達の半数以上がアメリカ国籍を持っていました。
そして、40年経過した1982年の「戦時市民転住収容に関する委員会」でようやくこの政策が差別だったと結論づけられたのです。
強制収容所の内情とは
強制収容所は11カ所設けられており、砂漠地帯や内陸部がほとんどでした。外部とは完全に遮断されて銃で武装した警備兵が警備をしていました。
冷房も暖房もないバラックと仕切りがないトイレ・・・劣悪な環境下では病気が蔓延していたそうです。食料は自給自足で思想教育としてのボーイスカウトも行われました。
アメリカへの忠誠心をテストするような質問や行動を強制されることもあり、精神的にも苦痛を強いられます。ただ日系人だから日本人だから・・・ここに収容された理由はそれだけでした。
差別だった・・・アメリカはそう認めている
戦時中であるとはいえ、一般市民を強制収容所に送ることは認められません。
2020年のカリフォルニア議会ではこの 「大統領令9066号」に対する謝罪の決議が可決されました。これは、大統領選挙を控えた政治的な意味合いや選挙対策としてのメッセージという意味合いもありますが、「差別だった」ことを認めているといっていいでしょう。
まとめ
第二次世界大戦中のアメリカで発令された大統領令 「大統領令9066号」は日本人や日系人への差別的な政策の根拠となるものでした。
たくさんの日系人や日本人が差別的な理由で強制収容所に送られていた・・・学校はあまり教えられないことですがこれもまた戦争の真実です。
参考資料:日系アメリカ人強制収容所の概要
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