Last updated on 2020年7月1日
皆さんは”東ティモール”という国をご存知でしょうか?
今回は東ティモールという国で起ったこと、そして、難民についてのお話です。オカルトオンラインでご紹介している”難民”シリーズの中のひとつとしてご紹介します。
東ティモールとは
画像:Pixabay
東ティモールの正式な名前は「東ティモール民主共和国」です。東南アジアの島国で首都はディリ、公用語はテトゥン語とポルトガル語です。
東ティモールは18年前に独立した新しい国…1999年8月30日に国連の指導の下で国民投票が行われ、その結果を受けて2002年5月20日にインドネシアから独立しました。
東ティモールの植民地支配の歴史
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東ティモールは16世紀にはポルトガル、そして、1977年にはインドネシアから占領されたという歴史を持つ国です。
インドネシアから独立したのは2002年ですが、国としての成り立ちはとても歴史が古く紀元前2000年にまでさかのぼります。
東ティモールを16世紀に植民地化したポルトガルは、その後、オランダと戦争をします。そして、東ティモールは東西に分断されてしまうのです。1904年のポルトガル=オランダ条約で分断されることが決まります。ですが、いずれの国も植民地…厳しい収奪が行われて反乱がおきたこともありました。
植民地支配というと、占領より少しは穏やかな印象を受けてしまいますが、実際は占領…。現地の住民は、実質上、武力で支配されて奴隷のように使われていたのです。
その後、第二次世界大戦で一時的には日本軍が東ティモールを占領…しかし敗戦したためポルトガルの支配下となります。この時点で独立の動きもありましたが、動きを封じられてしまいます。
占領の歴史はこれだけでは終わりません。1975年にはインドネシア軍が西ティモールから侵攻を開始しました。この中で、東ティモールは独立宣言をしますが、インドネシア軍は東ティモール全土を制圧し一方的に併合を宣言しました。国連はこのインドネシアの主張を認めませんでしたが、結局、東ティモールはそのままインドネシアに占領されてしまったのです。
その後、紆余曲折を経て2002年にに独立して今に至るのが東ティモールです。この歴史の中で発生した問題が難民の問題です。
東ティモールの難民問題
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東ティモールでは、2006年の時点で難民や国内避難民の数が15万人に上っています。独立は2002年ですが2006年になってもなお、大量の難民が貼発生しているのです。島国であることもあって、難民の約半数は国内避難民として国内に避難しています。
独立した後も東ティモールでは、政治不安や暴力などが横行し、治安が非常に悪かったのです。
国連は難民に支援をしていましたが、そもそもの原因は東ティモールが何度も不当な占領を繰り返されてきたのに国際社会もそして、国連も具体的に何もできなかったという点です。日本や東南アジア諸国も様々な外交的なバランスを考慮してか、東ティモールへのインドネシア軍の占領を事実上黙認したのです。
東ティモール独立の3年前、1999年には直接投票が行われました。これは国連が主導したものですが、この選挙の結果が発表されたあとで東ティモール全土で混乱が起こり、インフラの70%が破壊され50万人が避難民となりました。また、中には強制的に移動させられた人もいたそうです。そしてのちに、この暴動の背後には、インドネシア軍、そして、インドネシア軍と結託した東ティモール警察がいたことが明らかになりました。
後の調査で、この暴動の中でジェノサイド、暴行などが横行していたことが解ったのです。
参考資料:東ティモールの国家形成と紛争予防の課題
国際連合広報センター東ティモールの国内避難民の増加続く
難民が発生したときに国連はなにをしているの?
難民が発生するということは、戦争や暴力などが起こっているということです。平和な状態で難民が発生するケースはまずありません。
東ティモールの事例でもわかる通り、国連は難民が発生した後での支援はある程度行いますが、難民が発生するような紛争や暴動が起こったときに、それを阻止するような力は持っていません。これは、ウイグルやチベットも同じです。
難民に提供されるものは、テント、毛布、スリーピングマット、シートなどの生活物資や医療、そして、食料などですが量も質も充分とは言い難いのが実情です。
東ティモールに関して言えば、もちろん、それ以前の植民地支配も決して褒められたものではありませんが、せめて、インドネシア軍が侵攻した際に、国連がそれを止めていれば…少なくとも1999年の暴動は起こらなかったでしょう。
まとめ
東ティモールの歴史は、占領と植民地支配の歴史です。そして、独立をするときには虐殺が横行し、50万人もの難民が発生しました。
国連も周辺諸国も、難民への支援はしましたが、その前にインドネシア軍による東ティモールの占領を止めることができませんでした。
世界のパワーバランスの中で行われる殺人や人権侵害は、後になって報告されはしますが、その対象になった人はすぐに救われないのです。
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